成田山について

 大本山成田山新勝寺の起源と関西の縁は古く、天慶の昔、関東で起きた「平将門の乱」平定のおり、大本山成田山新勝寺の開祖:寛朝(かんちょう)大僧正が、ご本尊とともに、海路にて大阪の地を出発した事からはじまります。弘法(こうぼう)大師空海の手によって開眼された不動明王のご本尊を持参し、関東まで参上した寛朝大僧正は、護摩法と不動明王のご霊験により乱を見事平定、その功績により開山・鎮座されたのが、現在の千葉県成田の地:大本山成田山新勝寺の始まりとされています。

 その為、関西の大本山成田山新勝寺への信仰も古く、特に明治時代からは信徒がさらに増加、大正時代には大阪庶民の信仰の中心である千日前「水かけ不動」近辺に、成田山不動堂があった程でした。

 当別院の歴史は、大阪地区への成田山別院建立を望む声が高まる中、当時大本山成田山新勝寺の大篤信(だいとくしん)であり大阪府知事の実弟でもあった田辺真弘氏が、関西信徒を代表して大本山へ願い出られた事から幕を開けました。別院建立の敷地に関しては、古くより大阪方面から「鬼門」に当たるという事で開発の遅れていた香里の地が選定され、京都の鬼門:比叡山に延暦寺があるように、大阪の表鬼門であり京都の裏鬼門となる香里の地に、守護神として霊験あらたかなる成田山の不動明王をお祀りする事で、この地の発展も祈念する事になりました。

 そして、昭和9年(1934年)京阪電気鉄道株式会社から広大な境内地と堂宇が寄進され、大本山成田山新勝寺のご本尊不動明王のご分霊を勧請、遂に関西熱誠信徒待望の成田山大阪別院明王院(成田山不動尊)が誕生したのです。

 開創以来、『家族の安全』『子どもの健やかな成長』など…、人々の切なる願いを真摯に受け入れご祈祷を捧げる事によって、皆様とともに歩む存在でありたいと願い続けております。日本で初めての専用祈祷殿でも知られる『交通安全祈願』も、はじまりはその一例であり、現在では年間20万台のご祈祷車と200万人を越す参拝者をお迎えできるまでに発展させていただきました。

京阪電鉄と成田山について

成田山について

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